yuorhiyaのブログ

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虫に天使を見た日

虫に天使を見た日

秋の終わり、少し肌寒くも麗かな午後の日差しの中で、私は途方に暮れてタバコを吸っていた。ベランダの喫煙所は下の通りからよく見える。何もしていない焦燥感に苛まれながら、人目を避けるようにして吸う煙の乾燥が喉にしみた。風が吹き、煙が途切れる。切れた煙を捉えようと視線が動く。屋根の雨樋の先っぽに、黒く細い、小さな十字架が群れていた。虫だった、と思う。翅は見えず、ただ十字架が中空にうようよと飛んでいる様子は、そのさきに見える青空の高さと相まって、どこか特別なものに見える。神秘的にすら見えるが、それは教会の荘厳さに演出される神秘ではなく、神社の奥の社の影の、どこか人を寄せ付けないところに感じるそれだった。煙を群れに向かって吹き付けても、白いもやは繊細な十字架の前に霧散する。十字架は変わらず少し離れた上空で飛び交っている。それを見ながら、つと「天使さま」という単語が頭に浮かぶ。人の営みの届かない箇所で薄暗い特別を周囲に振り撒きながら、どこまでもそれに無頓着で、だからこそ羨ましい。

「天使さま」と声に出してはいけなかった。陳腐なセンチメンタルの結果であることが世界に知られてしまうからだ。私はただ、届かぬ白い煙を懸命に吹き付けながら、十字架の舞い踊る様子に見惚れていた。

 

霜の美しさ

霜の美しさに気づいたのは朝に犬の散歩をしている時だった。川沿いの芝生を歩いていると、低い朝日を受けた白い芝生が細かな虹色のきらめきを放つのを見ることができる。朝のイルミネーションだ、とぼんやりと思った。このきらめきを楽しみに、最近は朝の散歩がそこまで苦痛ではない。

深夜、院生室からタバコを吸いに出れば、霜のおりた草っ原にLEDの外灯が強烈な光を当てるので、やはり白を基調として虹色が私の目を刺すのである。上に目を向ければ、寒空の澄んだ空気にくもりなき輝きを届ける星々が、街を見下ろせば住宅街のあかりの集合が夢の中で見る深海の宝物のように美しく灯り、下にはガラスを細かく砕いて敷き詰めたようなきらめき。冬の夜はいい。清少納言は早朝の朝のひそやかな生活を愛したが、私は生活とおよそ離れた小さな丘で、遠い光を愛している。