yuorhiyaのブログ

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熱海秘宝館が楽しかった

 

君たちは私が結局独りで熱海秘宝館に行った事実をどう受け止めるか

 

・友達がいない悲しさは穿っていると思うので労働の義務に忠実な友人を多く持つことに道徳的な喜びを感じつつ、それはそれとして寂しい!!!私の面の皮がもう少し薄かったら耐えられなかった。

・負け惜しみではなく熱海秘宝館、楽しかったです。運悪く?男子学生の5人組に続いて入ってしまって初めの数分、魔羅や女陰のレプリカの溢れる中リアクションに困っていたんですが、「徳川家康黒歴史を紐解いてみましょう…♡」と囁く、ロープウェイ販促映像で家康が酒池肉林の放逸を楽しむ歴史紙芝居を見て、思わず声を出して「ハハ」と笑った瞬間、全てが私の世界になりました。独りで来る人が誰独り見受けられない中感じていた疎外感が一気に薄れて、目一杯楽しんでやろうという気力が湧いてきたのです。

・目眩くセックスな空間に知らない人と一緒にいることは稀なので、身の置き場に困っていたのでは?と思ったのをよく覚えています。そして笑いの効用についてもまた、信を新たにしました。笑いは全てに対して、我が身と一線を引く効果があります。セックスというは、ハレンチな事態に、それを鑑賞する身としてどう向き合うべきか、答えは一つ、笑いです。やむにやまれず漏らす笑いではなく、一つの選択の結果として「笑う」こと。この意識が強く私を勇気付けました。

・一番印象的だったのは、ガラスの向こうで裸の女性のマネキンが、ボタンを押すと足場が回転して乳首と隠部をあらわにしていくという展示でした。これは何種かあったんだけどどれも隠れる/露になるの運動そのものがものすごくエロいことを、そのボタンに指定された時間の中にだけ私にあらわにしてくれて(しかもマネキンはマネキンなのであらゆる権利がなく、なすがままに回転を続けるしかないその永遠性と絶望感!エロスとは攻撃誘発性と無力な抗いが示す無抵抗さの相乗によってかもされると誰が言ったでしょう)、二重三重の興奮を煽る装置の、言いようのない無機的な冷たさと相まって、非常にそそられるものがありました。

・回転ベッドってずっと謎だったんですけど、回転自体に何かエロチックな秘密があるんですか?人を回転させて鑑賞することってものすごく消費の許された不徳な空間でしかあり得ないから、回転するマネキンに私は興奮したんですが、回転自体に興奮を催す(それは一点しかない視点にとって、絶えず待機と愛惜をもたらす運動です)ことがあるとすると、それはヒッチコック的な『めまい』の酩酊と混乱、そして自我ー個人ー責任の三位一体が織りなす近代社会へ浅薄な嘲弄という、我が身からの逃走の快感ーーに、他ならないように思います。

・その中でも特に、こちらに背を向け泡風呂に立つ女性のマネキンの無表情さは、能面の角度で感情を見出す人類には酷なほどに、自らの置かれた状況への諦念を表しているように見えました。めっちゃエロかったので何回も乳首ボタン(熱海秘宝館なので展示を起動させるボタンが全て乳首になっている)を押したものでした。

・回転への関心、最近暴太郎戦隊ドンブラザーズの影響で月に対して異常な関心寄せていることと絶対に無縁ではない。

閑話休題。もう一つ印象に残ったのが、館全体に、ひいては熱海全体に(個人的に)当てはまる(と感じる)、昭和的なあけっぴろげさの消費ー消費される側の無抵抗さのエロスです。「ご自由に座ってお楽しみください」と注意書きのある、鏡を前にしたソファに腰掛ければ、鏡の向こうに、私をもてなそうとする生身の女性の映像がーヘアスタイルからして平成前期に撮影されたものでしょうかー投影されます。ボタンひとつで決められた奉仕活動をする姿はマネキンにあい通じるものがありますが、映像の白眉は「あなた」という代名詞の効果です。いまの私に対して、自我も思考も漂白され無限の繰り返しに囚われた「彼女」が話しかけている……という耽美な感覚は、もちろん例えばディズニーのお定まりのアトラクションにも感じて然るべきものですが、人間は普段服を身につけているという固定観念をもつ社会人にとって、「私のミルクも飲みたいの?しょうがないなぁ」と容易く服を脱いでみせる映像の彼女は、「そういうアトラクションを楽しむ自分」の「自分」を構成する昼の社会の常識を超えた存在となり、したがって「そういうアトラクションね」と思う自分を少なからず揺らがせます。こわされた私の断片を漂いながらそれでも私と呼べる知覚の集合が見るのは、生身の人間を容易く想起させる映像ーつまりは不在そのものーなのです。

・不在と現前の戯れなんて60年代の亡霊wと笑っていなさい文学の人。我々が楽しく生きている基盤をしっかり意識し、そこに足場を持たない不在の(なんて世間知らずで想像力を欠く認識!)人「らしい」存在の悲哀を楽しみなさい。ちんぽやまんこで混乱して笑うしかない愚劣な人々の中で、我とは何かを問い直しなさい。逃げとしての笑いではなく、何を笑っているか、笑った結果としてどのように社会を認識しているか、しかと自らに問い正しなさい……

・というメッセージを別に受け取っているわけではありません。昭和の亡霊がエロくて、切なくて、その切なさが(苦笑)で覆い隠されている事態に安堵し(わたしはエロいものが好きだから)、そのエロさの保存、すなわち人外の消費に加担するいつものわたくしーーオタク!☺️ーーであったというだけの話なのでした。めでたし、めでたし