yuorhiyaのブログ

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正月早々

正月早々コロナになって正月休みの楽しみが消えたがそもそもそれが「楽しいこと」になるかなんて誰にもわからなかったんだから可能性のまま終わったのが誰にとってもよかったのさと・・負け惜しみを言わせてください。

 

・正月早々、が多い正月だった。正月早々誰かの親しい人は天災によって亡くなり誰かの帰るべき家は天災によって無くなり天災に連なる飛行機事故で誰かの将来と親しい人はなくなってしまった。

 

・個人ブログだからこそ書けるようなことで、誰も読まない文章でなかったら何も言及したくないーーその喪失に何もいうことができないからーーことが多く続いてしまったことに、陳腐でしかないけれど、遺憾の意を表明する。こんな正月があっちゃいけないだろう。一年の始まりとして、その後の364日がいい日になるよう、げん担ぎとしてお祭りのようにハレた気分で過ごすべき日だったんだ1月1日は。喪われた正月に黙祷。哀悼。怒り心頭。ふざけんな。今年の漢字は「喪」だ。

 

・お正月だからといって普通の日でしかないんだからお正月なのに・・と怒るのは筋違いだという輩に鉄拳を喰らわせなさい。お正月はなあ、おめでたくて、一年の始まりを、例えそれがどんなに嫌な一年になるかわかり切っていたとしても、まだ見ぬ未来にありったけの期待を込めて、嫌な去年と比べて、少しでもマシな年になればいいなって、祈り、寿ぐ日であるんだよ。空白の祈りの日だったんだよ、その日を奪ってはいけないよ、例え天災だとしてもやっていいことといけないことがある。いや他の日に起きればよかったっていうわけでは全然ない。全然ないんだけど、少なくとも元旦は、絶対に「起こるべき日」では絶対になかった。祈りの日がなくなってしまったら、本当に日々を漫然と過ごす生態なんて、文化がない。虫と同じだよ。

 

・でたな、宗教的な意識が・・。私は文化のことを、期待と希望を持ちながら生活することのように考えていたようですね。違うんじゃない?文化は、結果であって、態度ではないと思うよ。期待してようがしていなかろうが、何かしら生きていくために生きた軌跡がたまたま他の人の鑑賞に堪えるものとして映り、模倣され、形式化せられていき、その形式が記述され、それを知らなかった誰かに参照されて初めて「文化」になるんじゃないかって私は思っているよ。それ以前のものは全部「流行」。流行は文化ではない。文化を、私は、伝統とかなり近いところに置いているのがわかります。

 

・じゃあ今回の正月の出来事で私は何に怒っているんだ?何なら文化であろうがなかろうが糾弾の是非は関係ないし。

 

・「正月ムードを壊しやがって」の一言に尽きてしまうのでしょうか。2つポチ前に書いたことは勢いの産物でしかなかったのでしょうか。

 

・多分、最後の2文を消したら、単に正月への気持ちの表明で終わって気持ちいいな。なんかいいこと言おうとして大きく出ちゃったのがいけなかったな。でも、お正月自体は、文化だと思う。その文化が今年できなかったこと、それも、大勢がやろうと当たり前のように色々準備して、例えばお正月飾りを買ったり、御馳走とか、おせちとか、お屠蘇のための日本酒とかを用意して、それが狙い通りに消費されなかった、つまり文化されなかったことは、悲しい。文化を重んじたいというわけではなく、文化に乗っかって安穏と暮らすつもりだった人々の「安穏さ」、平穏への期待というか、次踏み出す足場に穴が掘られていないだろうという世界への信頼感、そういうのが裏切られたのが、裏切りが、お正月飾りというおめでたい雰囲気をもつこのものによって演出されているのが悲しい。

 

・ダンサーインザダークのミュージカルの曲調が明るいほど悲しいのと同じかもしれないな。

 

・えー。