yuorhiyaのブログ

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何もない日は素晴らしい

・犬の散歩を2日ぶりにした。休日だとお父さんがいく傾向にある。そして今日は月曜日である。特になんという発見もなく滞りなく、帰った後に寝た。起きれば9時30分。

 

・みんちゃれでスクリーンタイムを30ふん以内にするチームに入った。環境的にはパソコンとか他のタブレットtwitterやyoutueが見れるので効果があったかはわからないが、なんとなくブルーライトを浴びない時間の潰し方をするようになった。具体的には悪霊の読書である。

・悪霊はすごい。若くて思想的に魅力的な男がわんさか出てくる上、大体が無職である。スタヴローギンがネット受けしそうなキャラ造形をしているし、キリーロフがいう「神とは死の恐怖の痛みです」という「恐怖の痛み」を克服している。このままだとスタヴローギンが無神の世界に生きる新しい人間になっちゃうよ〜><

 

・みくのしんカレーとイカのワタ炒めを作った。レシピをレシピを紙に書いておくと良い。ワタ炒めはイカの通りだ。

 ・フライパンにオリーブオイルをひく。 

 ・フライパンにワタを解く。(膜は除く)。

 ・フライパンに酒と醤油をだいたい大さじ一ずつ入れるが、酒が多い方が美味しい気がする。臭みとりを狙った配合?だが、美味しくできたのでメモ。

 ・イカを入れて、蓋をして火が通るまで蒸し焼きにする。

日本酒でいただくのがよろしい。

 

・お父さんは犬が死んだら跡を追うそうだ。私が孫を産んだらその限りではないらしい。家族の話になると由緒正しい高貴な地であることを言われる。これは私の貴族趣味っぽいクソデカダンス趣味、またその傾向にあるキャラへの愛情に結構深く関わっているのではないか?

 

・COEDOというビールのシリーズを通して飲んでいる。お父さんがもらってきたのだ。今のところ総じて、癖のある美味しいビールだ。

・最近プレミアムモルツが好きじゃない。あまりにもすっきりとして、甘い。甘くない酒のツラをしながら甘さを忍ばせてくる味わいに卑劣さを感じる。万人に受ける「高級さ」を、後味のすっきりさと癖のない爽やかな香りをもって誇っている。戦略として素晴らしいが、ちょっとその豪華さ(それはパッケージにもあからさまに見られる)に辟易している。

・その点エビスはすごい。ずっと苦くてコクがある。それよりもCOEDOビールの方がうまいが・・?

 

・このマイナー好みを隠す大衆好み、をどうしても裏切ってしまうマイナー好み、その一点で自分を特別だと思うのをやめた方がいい。

 

・マイカゴにうまく食品を積めることができたので嬉しかった。

文化デー

・「テオレマ」「王女メディア」「オフィサーアンドスパイ(告発)」を観た。パゾリーニは男の裸体が大好きだなぁと思った。メディアが子供を殺すシーンが良かった。告発は痛快だった。

・純文学みたいな扱いの映画たち(古典的名作?)はシーンも意味づけを観客に任せる度合いが大きい。この表情は。このカメラアングルは。このモンタージュは。このカットを挿入した理由は?いろいろぼんやり考えながら観て、解釈のコンボが決まったら気持ちいい、みたいな。対して大衆小説(ヒット映画?)はストーリーラインがはっきりしていて、文脈からシーンの意味がはっきりわかる。ので、頭を使う対象が違う。前者は映画の内容そのものに向かうが、後者はテーマに向かう。同じ桃太郎でも、裏に帝国主義批判とか、勧善懲悪とか、種差別批判とか、盛り込めるテーマはたくさんある。シーンに映るものが、何かの象徴だとして、それが何を示しているのか。そのシークエンスが語るものは何か。くどいが前者は映画のストーリーに、後者はテーマに関わってくる。前者を、テーマを直に表現する映画と言ってもいいのかもしれない。

・悪趣味さんらにパゾリーニのことを話したら「豚小屋」見たいね〜という話になった。人肉食と獣姦がメインの話らしい。アマゾンで4000円くらい、星5。

 

ロキシーを出た後、すぐ近くの喫煙所で、映画を斜め前で見ていたおばあさんがタバコを吸っていたので、ちょっと話しかけてお話ししてもらった。メディアの俳優の人間関係とか、ロケ地はどこだろう、とか。顔が好きだったし、話ぶりも知的で上品だった。憧れるぜ。

 

・権堂の古本屋で悪霊を買った。めちゃくちゃ良い。おもしれー男がじゃんじゃか出てきて、女帝タイプの女が強い。キリーロフが出てきた。ドストはたまにトチ狂う青年が大好き。

 

・独り言で盛り上がるのが得意になってきている。実家に帰ってからそうだ。酒があまり入らない分、そして話す友達が見込めない分、思い切ってしまっているのかもしれない。

・ハタから見て薄寒い仕草なのはわかっているが、これが結構楽しいのだ。無心になって喋っているうちに、初めて気づくことがたくさんある。例えば王女メディアの、王女様の死ぬシーンは、古代の王女が死んだことの反復であるとか、古代/都会の二つに分裂している自我とか。ドゥルーズ好きそう。シネマのどっかに触れてないかな。時間論と空間論らしいし、わからぬ。

日記を書くことにした

・日記を書く目的:

①日々蒙昧かつバカになっていく(この「バカ」は自己への反省的思考および対象への分析的思考の精度が劣っている感覚を指す)のがわかるので、どこまでバカになっていくか、文章力およびその内容から判断できる対象を作成すること。(バカになってく様子を見るのはきっと面白いから)

 ②日々堕落する有様を客観的に見、己への志向を捉え直すきっかけを作ること。

・日記は日の記録であり、また私は日を終えることには泥酔していることが多いので、文章も多分に酒が入っていることを前提とする。酒のない日は明記すること(違いがあったら面白いから)

・敬愛するダヴィンチ恐山の記す日記に倣い、箇条書きでその時の雑感を記す言説(!)を本記事群では日記と称す。

 

 

・日記を書こうという発想は大学1年生の時にあった。それは主に万年筆を大いに活用する口実作りであって、実際記述は楽しかったが毎回1時間も書くのに負担感を覚え、またその時から再現なくお酒を飲みはじめた。つまり書くことの労力への忌避感が私を日記から遠ざけた。

・当時書いていた記述で今読んでも面白いのは、比喩を多分に用いて感じ方を描いた文章だ。「彼岸花のさく夜道、血塗れの己がさかしまに己を嘲笑っている」みたいな。ほんとうに18歳の私はそう感じていたという記憶があるし、多分記録がなければこれを思い出さなかった。

 

・日記、感じ方の記録は、事故を過去に結びつけ過去と現在の自分を強制的に結びつける力を持つ。記録している主体が「私」だからそれは逃れようがないのだけれど、なるべく自分の可能性(可能体へ向かう現在の状態)を曖昧にして捉え所のない自我をナルシスティックに眺めるのが好きな自分にとっては、この強制的な懐古=楽しさを伴った自同性の確認は幾分嫌なものでもある。

・だから書いている時に投げ出さないよう、目的を定めた。

・①はわかる。ご飯の時間にゲーム実況を重ねずにはいられなくなった。これはご飯への注意力が下げ、その瞬間の感覚を多分に削ぐ。その瞬間に価値を置く私にとっては忌避すべき事態だが、いつの間にか、習慣でこうなっている。この後どれだけ自己を曖昧にする娯楽を瞬間の中に挟み、感受性を耄碌させていくんだろう。ワクワクする。

・さっきは平沢進のことを思いながら犬に優しくしていた。私は犬を見ていなかった。犬の目に私の撫ではどううつっただろうか。

 

・感受性が高くていいことはあまりない。文学作品を楽しんだり日常の美しさを楽しむ才能が多分おそらく私にはあるんだろうが、それが現代の「生」にとっては唾棄すべき、あるいは捨象すべき無駄であることを知っている。無駄に人生をかけるのは人間らしくてとてもいいと思うのだけれど、そうではないらしい。このことは己の幸福へのアンテナが告げている。

・幸福を人生の指針にすべきではないと中島義道の語るカントが言っていた。幸福のために道徳原則をねじ曲げそれを遵守し悦にいる有様を醜いと言った。そう思う。しかし無駄の極に生を捧げるのは、定言命法にはそぐうものの、道徳原則が「ほんとに〜?』と茶々をいれる。だからそれはきっと良くないと思う。そして私は幸福になりたい。だから消極的に人生をとして無駄を愛することはしない。生きる指針はきっと何もなく、都度変わりゆくものなのだろうが、無駄への投身自殺にむくことは、それが大変魅力的であればこそ、その資格がないように思われるのもあって、きっとないだろう。

 

・ほんとうに?

 

・いつか酒の席で行ったが、私は酸っぱいぶどうが大得意だ。最近のtwitterのトレンドは「人には感情を正当化するために論理を使う傾向が多分にある」だ。これである。私は近しい人にに失望されたくないから堕落の極を逃れている。

 

・長い!

 

・読み返して誤字脱字を直してたらナルシスティックな喜びを覚えました。よかったね。